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1940年代韓国作家の日本語詩と日本語雑誌の<南洋>言説研究 : A Study on Discourse of “Nanyo” in Japanese Magazine Published in Korea and Japanese Poetry of Korean Writers during the 1940's

A Study on Discourse of “Nanyo” in Japanese Magazine Published in Korea and Japanese Poetry of Korean Writers during the 1940's

초록/요약

本研究は朝鮮で<南洋>を素材とした日本語詩の南洋表象の問題、体制に協力的な朝鮮人知識人の<南洋>言説、また当時朝鮮半島で政治的·経済的·学問的イデオロギー生産に中心的役割を担当していた在朝日本人により刊行された日本語雑誌の<南洋>言説を分析したものである。それで従来取り扱われて来なかった在朝日本人と植民地朝鮮の知識人の言説の流通過程と<南洋>を巡った共通の認識を明らかにし植民地文学研究の新しい項目の設定を試みようとした。日中戦争を経て太平洋戦争が勃発し大東亜共栄圏建設、内鮮一体のスローガンが広まる中で、この国策に照応する形で朝鮮人の日本語文学が大量創作される。特に当時国策プロパガンダの役割を果した詩ジャンルでは戦争の当為性を主張する多様な内容の作品が書かれる。この時期<南洋>を画いた詩もこのような内容を内面化しながらも<南洋>の「原住民」に対する差別的な表象をとおして彼等を他者化しており、<南洋>の資源に対する高い関心が中心テーマとなっている。このような朝鮮の<南洋>詩や<南洋>言説を見ると当時<南洋>表象の特徴は、国策に協力的な朝鮮人作家·知識人が被植民地人でありながらも新たな植民地に対する位階的秩序の構築をとおしてもう一つの植民地を夢見たという点である。この夢を<南洋>に限って言えば、<南洋>の植民地的開拓の主体となる熱望であったが、これによって帝国の主体を夢見ていたといえる。この言説は在朝日本人(経済人·言論人)たちが抱いていた経済的利害関係、または政策的要素によって要請される現実的、経済的必要性がその言説(朝鮮は日本の次位または一体、朝鮮は指導者·推進者)を造り出したという事実である。この事実は彼らが<南洋>に対して抱いていた不安や警戒心理を見てもよく分かる。従って、当時朝鮮人作家や知識人の<南洋>言説は在朝日本人と共謀した言説であり、互い交渉し合った産物であると言える。

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