한국의 <조선문학(사)론> 형성과 중국사상의 표상― <일본문학사> 및 <조선(인)론>의 비교를 통해 ―
- 주제(키워드) 朝鮮文学史、 日本文学史、 日本人論
- 발행기관 한국일본학회
- 발행년도 2009
- 총서유형 Journal
- UCI G704-000247.2009..81.016
- KCI ID ART001395258
- 본문언어 한국어
초록/요약
本論文は、日本植民地時代の初期李光洙と安廓の朝鮮文学(史)論を対象にし、この文学(史)論に一貫している「漢文学」や「中国思想」に対する対応論理を<日本文学史>や日本のコロニアル․ディスクールとの関わりの中から考察したものである。それによって、この朝鮮文学(史)論は中国思想や西洋の新思想をいかに表象しているのか、そのコンテキストともいえる<日本文学史>及び日本のコロニアル․ディスクールとの差はどこにあるのかを明らかにしようとした。 近代国民国家の形成期における<文学史>の編纂は近代国民国家のイデオロギーに照応しナショナル․アイデンティティの構築という役割を果たそうとした。日本の場合は一八九〇年代の前半には西洋(文学)や漢字、漢文学に対して排除の戦略をとおして自国文明の優秀性を論理化しようとしたが、1890年代後半に至るとこの西洋(文学)や漢字、漢文学を包容する立場を取るようになる。 しかし、韓国の場合は文学史をとおして「民族精神」「民族思想」を鼓吹しようとしたのだが、その方法論においては主に中国思想や漢文の崇拝という「事大主義」に対する自己批判に集中されていたといえる。ここで注目されるのはこのような認識が結局日本で作り出された<日本文学史>、あるいは否定的な<朝鮮人像>の言説と錯綜する形で胚胎されたという点である。 このような意味で一九一〇年代と二〇年代初め頃の朝鮮文学(史)論は、朝鮮内の文学的環境に基づきながらも植民地宗主国の文学史やコロニアル․ディスクールとも直接․間接相関しており、そのように錯綜した空間の中で様々な論理の矛盾と可能性を含みながら胚胎されたのである。このような錯綜はまさに一九一〇、二〇年代日帝強占期という植民地空間の桎梏と矛盾をも反映するものに他ならないといえる。
more