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<浮世親仁形氣>の人物像に關する小考 -爺,老孃,水彩畵家を中心に - : The short thinking of figure in <Ukiyo Oyazi Katagi>

The short thinking of figure in <Ukiyo Oyazi Katagi>

초록/요약

本論文は氣質物の創始者とも呼ぶべき江島其磧のꡔ浮世親仁形氣ꡕの主題を再考することを目的とする。主題と關連する人物に關する先行硏究はꡔ親仁形氣ꡕの親仁たる人物の現實感有無に關して意見の分かれるところであり、ここに着眼して現實感の性格と意義を追求してみたい。これにより、作品の主題に近づけると考えるからである。  まず、ꡔ親仁形氣ꡕの人物は大きく二つに別れる。一つ、過去執着の類型人物である。これに当るのは、一卷一・二章から二卷三章まで、四卷三章、五卷一・二章、五卷三章の八名の親仁である。彼らは若い時分の性格や趣味、もしくは過去の社會的背景の傾向を捨てきれず、老後にもその傾向を維持し續けるのである。二つ、欲望露出の類型人物である。これに当るのは、二卷二章、三卷一章、三卷二章、三卷三章、四卷一章、四卷二章、四卷三章の七名の親仁である。彼らは老後に経濟・社會的安定を得て、押さえ付けていた子への愛着、長壽、色欲などの欲望を露にする。  この二つの類型は一見何の關わりもないものとも考えられるが、「人間の普遍的心理」を現した姿と違わないのである。つまり、二卷二章に「形は変り行けど、百年たちても、人の心に違ひはなし。」とあるよう、作中に登場した類型は一部の親仁に限らず、實存可能な人間像、現實的人間像として設定されているのである。これを裏付けるように、作品全体の枕詞としての導入部である一卷一章の敎示的言說は、「親仁」に限って述べられていない。「おのれが好ける道によって身を果たすは、人間の習ひぞかし。」という言說は、所謂全ての人間の生々しい實体を見せ付けていて、其磧はꡔ親仁形氣ꡕを通してこの生々しい人間の實体を垣間見させるのである。  以上の考察により、ꡔ親仁形氣ꡕは特殊な親仁に限らず實存可能な現實的人間像を描き、人間の過去と今に關する普遍的心理を浮彫りにしたと考えられる。

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